昨年11月のことになりますが、東日本大震災被災者支援の一環で、福島県を訪問しました。いわき市、浪江町、二本松市、福島市と移動しました。
福島では、3.11で地震津波被害が生じた後に、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質が拡散しました。そのため、被害が拡大し、復旧・復興が困難になっています。
今回、放射性物質の汚染により立入りが制限されている地域に、特別な許可を得て入ることができました。今なお人が一人もいない街や風景は、地震・津波被害とは異質な、放射性物質による被害の深刻さを感じさせます。その時の模様は、下の写真をご覧ください。
また、今回は、避難所の訪問、地元議員、士業、会社経営者、自治会、自治体関係者の方々と会合をもつこともできました。復興に対する熱意や現地での取り組みをたくさん知ることができました。
その一方で、目に見えない放射性物質に対する不安感や葛藤が、とても複雑で、深刻なものであることも実感することができました。
例えば、国の基準では安全だとされる食品(魚、山菜など)が目の前にあったとして、それを食べるのか・食べないのか、子どもに食べさせるのか・食べさせないのか、という基本的な問題があります。そこから、家で食べる食品はどこで調達するのか、学校給食は食べさせるのか、そもそも住居をどこにするのか、仕事はどうするのか、家族は離れて暮らさなければならないのか、といった問題に発展していきます。これらの問題は、家族、学校、職場、地域社会など様々な場で話題になりますが、立場によって見解が分かれ、また、答えが出にくい問題ですから、とりわけ、家族の中は高い葛藤に晒されることになります。
家族の中の葛藤を無くそうと思えば、避難するか、その問題を家族の中で話題にしない、という選択になります。しかし、原子力発電所の事故は収束していないので、避難という選択肢を取らない限り、問題は残されたままになります。そして、一旦話題にしなくなった問題でも、ニュースなどをきっかけに顕在化することになります。
地域社会に目を転じると、避難を選択した人も相当な人数がいますが、地元に居住することを選択した人、立入制限区域から避難してきた人、電力会社関連の仕事を求めてやってくる人などもおり、従来からの文化やコミュニティは、変容を余儀なくされていました。
そのような中、地元のお母さん達が集まって、NPO法人を立ち上げ、民間レベルでの放射性物質の測定を行っている現場を視察することができました。ここでは食品や健康調査などを、安価で、迅速に測定することができます。海外から最新のベータ線測定機器を輸入したり、医師による検診も受けることができます。地域住民の抱える不安や葛藤の根本部分に光をあて、解決の糸口をみつけることができるのです。スタッフは全員、お母さん、とのこと。どこに行っても、“母は強し!”ですね。
今年も、もうすぐで、3.11を迎えます。日々の生活で、つい忘れてしまいがちですが、東日本大震災の復興はまだまだ進んでいません。過去の何を清算し、未来に何を繋ぐのか、考え、行動できる機会にしていきましょう。
福島では、3.11で地震津波被害が生じた後に、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質が拡散しました。そのため、被害が拡大し、復旧・復興が困難になっています。
今回、放射性物質の汚染により立入りが制限されている地域に、特別な許可を得て入ることができました。今なお人が一人もいない街や風景は、地震・津波被害とは異質な、放射性物質による被害の深刻さを感じさせます。その時の模様は、下の写真をご覧ください。
また、今回は、避難所の訪問、地元議員、士業、会社経営者、自治会、自治体関係者の方々と会合をもつこともできました。復興に対する熱意や現地での取り組みをたくさん知ることができました。
その一方で、目に見えない放射性物質に対する不安感や葛藤が、とても複雑で、深刻なものであることも実感することができました。
例えば、国の基準では安全だとされる食品(魚、山菜など)が目の前にあったとして、それを食べるのか・食べないのか、子どもに食べさせるのか・食べさせないのか、という基本的な問題があります。そこから、家で食べる食品はどこで調達するのか、学校給食は食べさせるのか、そもそも住居をどこにするのか、仕事はどうするのか、家族は離れて暮らさなければならないのか、といった問題に発展していきます。これらの問題は、家族、学校、職場、地域社会など様々な場で話題になりますが、立場によって見解が分かれ、また、答えが出にくい問題ですから、とりわけ、家族の中は高い葛藤に晒されることになります。
家族の中の葛藤を無くそうと思えば、避難するか、その問題を家族の中で話題にしない、という選択になります。しかし、原子力発電所の事故は収束していないので、避難という選択肢を取らない限り、問題は残されたままになります。そして、一旦話題にしなくなった問題でも、ニュースなどをきっかけに顕在化することになります。
地域社会に目を転じると、避難を選択した人も相当な人数がいますが、地元に居住することを選択した人、立入制限区域から避難してきた人、電力会社関連の仕事を求めてやってくる人などもおり、従来からの文化やコミュニティは、変容を余儀なくされていました。
そのような中、地元のお母さん達が集まって、NPO法人を立ち上げ、民間レベルでの放射性物質の測定を行っている現場を視察することができました。ここでは食品や健康調査などを、安価で、迅速に測定することができます。海外から最新のベータ線測定機器を輸入したり、医師による検診も受けることができます。地域住民の抱える不安や葛藤の根本部分に光をあて、解決の糸口をみつけることができるのです。スタッフは全員、お母さん、とのこと。どこに行っても、“母は強し!”ですね。
今年も、もうすぐで、3.11を迎えます。日々の生活で、つい忘れてしまいがちですが、東日本大震災の復興はまだまだ進んでいません。過去の何を清算し、未来に何を繋ぐのか、考え、行動できる機会にしていきましょう。
【参考ホームページ】
NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね
http://www.iwakisokuteishitu.com/
3.11東日本大震災を忘れない追悼の集い 2015広島
https://www.facebook.com/wasurenaituitounotudoi.hiroshima2013?fref=photo
NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね
http://www.iwakisokuteishitu.com/
3.11東日本大震災を忘れない追悼の集い 2015広島
https://www.facebook.com/wasurenaituitounotudoi.hiroshima2013?fref=photo
【写真】
以下では、立入規制区域で撮影した写真を中心に掲載します。福島県の風景のうちの一部であることにご留意ください。
以下では、立入規制区域で撮影した写真を中心に掲載します。福島県の風景のうちの一部であることにご留意ください。