みらいブログ

2024.03.29

スモン薬害裁判

二國 則昭

 この度、一般財団法人広島スモン基金から「ノーモアスモン~薬害のない未来のために~」と題する漫画が発行されました。私は、この漫画の元となる「スモン裁判」にかかわり現在は、上記スモン基金の理事をしています。

 スモンという病気は、日本語に訳しますと亜急性脊髄視束神経症という病名になります。つまり、キノホルムという殺菌力の強い化学物質による中毒性の神経疾患です。このキノホルムを含む薬は、エンテロヴィオフォルムやエマフォルムとの薬剤名で下痢などの腹部症状を改善する薬として医師により処方されて飲まれるようになりました。飲んだ人は、腹痛から始まり、意識を失くすほどの痛みとなり、足がびりびり痛くなって、力が入らなくなり、場合によっては失明するという病気でした。

 このような病気は1950年代半ば以降に発症し、1960年以降全国各地で増加しました。1970年8月にこのような神経疾患の原因は、キノホルムであることが判明しました(確認された患者は約1万名)。そして、このような薬の販売を許可した国と販売した製薬会社を相手とする損害賠償の裁判が、1971年に東京地方裁判所で、その後、広島を含めて全国各地で起こされました(提訴者は、4800人余)。

 広島の裁判には、私は、弁護士登録をした1976年4月から、代理人としてかかわり、法廷に出るだけではなく、各地の弁護団との連絡会議に出席し、法廷外の運動にも参加しました。

 初めての判決が、1973年(昭和53年)3月に金沢地方裁判所において、出されました。判決内容は、国と製薬会社の損害賠償責任を認めましたが、スモンの原因についてはウイルスが原因である可能性を認めていました。その後の東京地方裁判所の判決では、ウイルス原因説は退けられ、1979年2月には、広島地方裁判所の勝訴判決が出されました。

 これらの判決をもとに弁護団が国と交渉して、9月には、和解確認書が調印され(対象者は6491名)、国がスモン問題の責任を認めるとともに和解金、健康管理手当、介護費用の支払い、恒久対策の実施などが決められました。また、別途新しい薬の製造承認を厳しくするという薬事法の改正並びに薬の副作用被害について救済する法律の制定がされました。

 広島県においては、スモン被害者の方が賠償金の一部を拠出して、1983年(昭和58年)3月財団法人広島スモン基金(当時の名称)を設立して、スモンその他の薬害被害者の救済ための事業を行ってきました。その事業の1つとして、薬害の根絶に少しでも寄与するためにこの度、漫画を発行しました。

 スモン基金へご連絡(smon-hiroshima@polka.ocn.ne.jp)いただければ、送料はご負担いただきますが、お送りしています。

お問合せ 大竹支所尾道支所 広島本所